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リッチモンド・K・ターナー (ミサイル巡洋艦) : ミニ英和和英辞書
リッチモンド・K・ターナー (ミサイル巡洋艦)[りっちもんどけいたーなー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミサイル : [みさいる]
 【名詞】 1. missile 2. (n) missile
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

リッチモンド・K・ターナー (ミサイル巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
リッチモンド・K・ターナー (ミサイル巡洋艦)[りっちもんどけいたーなー]


リッチモンド・K・ターナー (USS Richmond K. Turner, DLG/CG-20) は、アメリカ海軍ミサイル巡洋艦リーヒ級ミサイル巡洋艦の5番艦。艦名はリッチモンド・K・ターナー海軍大将に因んで命名された。
== 艦歴 ==
リッチモンド・K・ターナーは1961年1月9日にニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所で起工する。1964年6月13日に就役し、8月10日にフィラデルフィア海軍造船所を出港、バージニア州ヨークタウンおよびノーフォークキューバグアンタナモ湾を経由し母港のカリフォルニア州サンディエゴに向かう。パナマ運河通過後メキシコアカプルコを訪問し、サンディエゴには1964年9月11日に到着した。
1965年6月4日、太平洋西部への最初の配備のためサンディエゴを出港する。リッチモンド・K・ターナーは南シナ海で第77任務部隊に加わり、ミサイル護衛艦として空母コーラル・シー(''USS Coral Sea, CVA-43'')、インディペンデンス(''USS Independence, CV-62'')およびオリスカニー(''USS Oriskany, CV-34'')の支援を行った。
リッチモンド・K・ターナーは1965年9月にトンキン湾での捜索救助駆逐艦部隊に配属される。同任務の期間に8名のパイロットを救出し、任務が終了するとスービック海軍基地を離れ12月8日にサンディエゴに到着する。
1966年10月15日にサンディエゴを出港、再び東南アジア海域へ向かい、1967年3月28日に母港に帰還するとその後海軍兵学校生の訓練巡航で真珠湾へ向かう。
1968年6月10日に3度目のベトナム配備に出港し、1968年12月にサンディエゴへ帰還するまでアジア海域での艦隊作戦に貢献した。
その後リッチモンド・K・ターナーは南部カリフォルニア作戦海域での対潜水艦戦訓練艦としての任務に従事する。2月に海軍長官の巡航が行われ、3月1日にはサンディエゴ海軍基地において艦載ミサイルシステムの広範囲なアップグレード作業に入る。作業の完了後訓練と海外展開のための準備に入り、1970年1月には4度目の西太平洋配備に入る。
1970年3月4日に日本の横須賀に到着し、その後2ヶ月間を日本海での作戦任務に従事する。1960年6月から7月にかけてベトナム沖合で活動し、その後グアム、真珠湾経由で8月にサンディエゴに帰還する。
1971年3月22日にリッチモンド・K・ターナーはメイン州バスに向けて出港し、4月27日にバス鉄工所に到着する。リッチモンド・K・ターナーは5月5日に予備役となり、海軍のミサイル巡洋艦対空戦闘能力増強プログラムの下改修が行われる。作業の終了後リッチモンド・K・ターナーは1972年5月17日にバス鉄工所で再就役した。
就役後は7ヶ月にわたってアメリカ東海岸沿岸、カリブ海で様々な試験、回復訓練及び演習を行う。1972年11月22日にロードアイランド州ニューポートへ帰還し、1973年1月9日まで同地に留まった後、ボストン海軍工廠入りし二ヶ月間の調整が行われる。3月にボストンを出港し、リッチモンド・K・ターナーは1973年にUNITAS巡航で南アメリカへ展開した。
リッチモンド・K・ターナーは1975年7月に CG-20 (ミサイル巡洋艦)へ艦種変更され、1976年7月4日にはアメリカ建国200周年記念のニューヨークにおける国際観閲式に参加した。

1998年8月9日にリッチモンド・K・ターナーは SINKEX 演習の標的艦としてプエルトリコ近海で海没処分となる。攻撃はフィリピン・シー(''USS Philippine Sea, CG-58'')、ソーン(''USS Thorn, DD-988'')、ニコルソン(''USS Nicholson, DD-982'')および第3空母航空団を含むエンタープライズ戦闘集団によって行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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